ハピネスチャージプリキュアを見ようか迷っている人へ

 最近、プリキュア20周年ということ、全プリキュア集合映画がまたできることから、全作を見ようとしている新たなるオタクの息遣いを感じています。

 そして、近年ハピネスチャージプリキュアを見て「思ったより良かった」と言ってくれることを嬉しく思う一方、未だ(もう10年もたつのに)根深い悪評から、見るのを躊躇している姿を見かけます。

 

 ハピネスチャージプリキュアに拗らせたオタクとして、あの作品はプリキュアの中でも癖が強いという意見は否定でき無いと思っており、あまり好きではない作品を50話見て憎しみを叫び続ける存在になる悲劇を防ぐため、また、無闇矢鱈に警戒される事態を避けるためにも、こういう要素があるので見る・見ないという判断の材料にしていただければと思い記事を作りました。

 

目次

ハピネスチャージプリキュアのネガティブな評価の原因

 個人的な意見ですが、

  • メインキャラを振り回す大人たちの責任の追求が甘い
  • メインキャラの苦悩がプリキュアにしては生生しく、悩んだ結果うまくいかないケースがままある
  • 世界のプリキュアとかの様々な設定の深掘りをしようとして結局そんなにはしない
  • 3番目の視点で見ようとすると、1,2番目の展開に振り回され、毎週30分日曜日の朝に49話かけて放送という方式で見るとじわじわストレスが溜まること

かなと思っています。

 

 もちろん他にも色々問題があるとは承知していますが、スマイルプリキュアのような1話1話を楽しもうとか、GO! プリンセスプリキュアのような目標に向かって頑張ろうとか、そういうポジティブな部分が軸で悩みがあるというより、悩みが軸になってポジティブな成長へ向かう作風なので、ある程度序盤からストレスがある作品であるという前提でみたほうがいいです。

 そして、そのストレスは1週1話方式とある程度まとめ見であるか、またストレスがたまる作風であるということについて事前に認識があるかで大きく変わります。


 かつてスイートプリキュアが永遠に喧嘩してて空気悪いという批判を見かけましたが、喧嘩しまくるという前提でイッキ見すれば、思ったより喧嘩が可愛らしいな? でそこまでストレスにはならないと思います。

 

ハピネスチャージプリキュアの魅力

 色々悪いところを語りましたが勿論良いところもあります。プリキュアらしいキャラクターや友情、戦闘の魅力は他の作品同様にありますがなんといっても

「生々しい苦悩(恋愛含む)の中で成長するキャラクターのユニークさ」

もうこの1点だと思ってます。

 ストレスフルなところもありますが、そこまで身を削って見たからの辿り着く場所や達成感がある作品です。

 プリキュアとして誰かのために戦える存在に至る、未熟な少女たちの成長を見たい、という気持ちがあればぜひチャレンジしてほしいです。

 

 ハピネスチャージプリキュアの作中において、プリキュアは地球上でも一般人に知られている存在であり、愛乃めぐみはプリキュアに憧れてプリキュアになる稀有なキャラです。それ故に、プリキュアに「なる」という意識が強い作品んだと私は思っています。10周年というアニヴァーサリーを意識して、プリキュアになるとはどういうことか、誰かのために戦うとはどういうことかを捉え直した挑戦的な作品であり、その魅力が20周年の今も色あせません。


 とはいえ、下記のような人については、時間を無駄にした上にキレて最悪なアニメとして記憶に刻むことを避けるために、今本当にハピネスチャージプリキュアを見るべきか考え直したほうが良いと思います。

 

ハピネスチャージプリキュアに絶対向いてない人

プリキュアの恋愛は百合以外ぜったいNG
プリキュアに男性キャラがメインで入ってきて大活躍するのが無理な人

 もう自明に絶対向いていないので、見て時間を無駄にして嫌な思い出を作らないために見ないほうが良いです。
 プリキュアって一年分みると17時間弱かかるので、今ならまだ引き返せます。
 どうしても全シリーズ一度は見てみないと気がすまないなら、24話までの恋愛要素が少ない部分まで見ていただく→好きなキャラができなかったらそこで見るのをやめる。もし好きなキャラができたら、そのキャラに寄り添う視点で見るのがおすすめです。この話のときこのキャラはどういう立ち回りをするのか、という部分に着目するとまだストレスがたまらないと思います。そのストーリーの軸になるキャラ以外のサポートや言葉のかけ方にキャラクター性が出ていて面白い作品だなと思います。

 

 逆に、恋愛自体に苦手意識がないなら、「恋愛とは努力が報われるものではない」ということを胸に刻んでおけば、そこまでキレたりはしないと思います。

 

メチャクチャハマるかメチャクチャキレる可能性がある人

・人間関係でメンタルがやられている人

 リアタイの私がこれです。あとは、リアタイ時に恋愛関係で揉めていた人がすごく感動したという意見を見かけたことがあります。
 繊細な人間関係による苦悩とどう向き合い幸せをつかむか、という作品なので自分と重ねてメチャクチャ感情移入する OR 微妙に腑に落ちないところがありメチャクチャキレるという二択になります。

不安かもしれないが、ワンちゃん見てみたら楽しいかもしれない人

・主人公にマイナスなイベントが起きたとき、責任をきちんと追求したい人

 ワンちゃん見てみていいと思います。

 大人の責任追及について考えるとイライラしてくると思うんですが、そこから視点を外して、プリキュア一人ひとりの成長において各キャラがその子の視点からどう見えているかと見ていくと、大人に振り回されているというよりは、自己の確立においての重要イベントとして彼らを取り巻く事件が起きているのがわかると思います。
 重要なのは起きたことからどう学んでプリキュアが成長していくか、と割り切ることでストレスを回避できると思います。それでもやはり、イライラしてきたら憎しみを撒き散らす存在になる前に見るのを早めに切り上げたほうが良いかなと思います。

 

 とりあえず上記3点にあたらなければ一回24話くらいまで見てみて、その後見るか考えてみるのが良いと思います。

 全作見て無くてもプリキュアファンはプリキュアファンです。

 どうか皆さんに、素敵なプリキュアライフがありますように!

ハピネスチャージプリキュアと私

 

 ハピネスチャージプリキュアとは幸福をテーマにしたプリキュアである。

 タイトルとテーマというと個人的にはスマイルプリキュアのスマイルがわかりやすいと思う。大変な時代だからこそ、一話一話笑って過ごせるように、そんな願いをまさしく体現するタイトルである。

 じゃあ、ハピネスチャージプリキュアを見たらハピネス(幸福)をチャージできるのか、それに関しては人に寄るかな~と思う。

 ハピネス注入幸せチャージ! ハピネスチャージプリキュア! そういう話だったかというと、どうだろう。未だによくわからない。好きだけれど、あれを見て幸福な気持ちになるといえばちょっと違って、放送当時の周りの雰囲気も含め少し心の痛いところをピリッと引っ張られるような……物語の内実はともかく、そういう感覚だけがずっと五年も胸に残っていて、そのせいで私はあの作品のことを引っかかりとして誰かに吐き出すこともできずにいた。

 

 

 

 私のプリキュア歴はふたりはプリキュア、MH、SSの最初の数話、飛んでスマイルプリキュアからHUGっとの前半までだ。プリキュアシリーズの半分もみてないし、記憶も曖昧であるが、その中でも何故ハピネスチャージプリキュアだけがこんなにも記憶に傷として残っている。

 

 それは、ハピプリが当時の私の迷いや痛み、苦しみに寄り添ってくれた作品だったからだ。

 

 前半22話の大半を費やして行われたひめといおなのぶつかり合い、あの二人の動向を2015年の私は自分のことのように追っていた。私もまた友人といろいろあってずっと揉めていたからだ。どうすれば、ここから抜け出せるのか、前へすすめるのか、そればかり考えていたのに私の行動はそんな願いとは相反することばかりだった。私は悪くないとか、なんでわかってくれないのとかそういう気持ちの渦の中で、同じようにひめといおなも苦しんでいた。そして、ついに迎えた22話。

 

 私はひめのように何か投げ出して捧げて許してもらえるようなものは持っていないと落胆して、それから解決法なんてないけれど、必死に目の前にあることをやるしか無いんだと思った。私がどうなるかはよくわからないけど、物語の中の二人が協力し合うのを見ると少しだけ救われた。光がないわけじゃないのだと。

 そして、その友人と私は今も連絡をとっている。

 

 ところが23話から夏に向けて作品の評判自体が揺らいで行った。プリキュアでは珍しい直球の恋愛描写、そしてブルーの真実、アンラブリーのよくわからない指摘、成長なのかわからない成長。周りの声のうるささが本当に忘れられないが、一番忘れられないのはクイーンミラージュの回で友人の「もし私がミラージュだったらこんなこと言われたらプライドが粉々になっちゃう。耐えられない」という言。そして何がどうしてこうなったかわからない闇落ち誠司回、最終話。

 

 私は気づいたらハピネスチャージプリキュアのキャラクターに共感したり痛みを共有したりできなくなってしまった。

 22話で確かに救われた記憶があるのに、その先の物語をどう見ていいかまるきりわからなかった。わからないからこそ、強い批判に晒されるこの作品を庇うこともできず、されど自分から駄作だと割り切る事もできずずっと心の奥底に淀んで、誰かに話すこともできなかった。

 一度共感してしまったからこそ批判されることが耐えられず、一度疑問に思ってしまったからこそ手放しに褒められることも耐えられなかったからだ。

 

 

 さて、そんな私が何故今更ハピネスチャージプリキュアの話をしているのかと言えば、まぁ偶然である。偶然、コロナ禍で暇であればこそオタクの発表を聞く回を毎週やることになって、たまたま私が二週連続でその機会を得ることになったからだ。最初は風と共に去りぬの話をするつもりだったが、前前週、前週とニチアサが続き、その流れに乗った。

 そこで6年ぶりにあの作品を見ることになった。

 

 6年経ったこと二周目なことで面白いほど発見があった。22話は今見たらそんなに感動しなかったが微笑ましかった。そして相変わらず30話からの流れはよくわからなくて、最終話付近は疑問が残った。ブルーがクズとか色々言われたが二周目の私は彼に少し同情してしまってあんまり悪いことが言えなくなってしまった。

 そんなこんなで発表を二週で合計120分、パワポ150枚くらいで発表した。そしたら聞いてくれた皆さんから二回出会わせて一時間分くらいフィードバックがあってツイッターでも付き合ってくれて、それでもまだ最終話のことはわからなくて寝て起きたらふと悟った。

 

 ああ、プリキュアがただキレイだったから、あのラスボスは折れてくれただけだったのかと。納得なんていかなくていいんだと、地球なんてものはたまたま運良く救われたにすぎないんだって。

 

 そして同じだけ私は考える。

 今の私はもうプリキュアに共感したりできる年齢ではなくなってしまった。一緒に苦しんだりはできなくなってしまった。でも代わりに、彼女たちを取り巻く世界や繊細で言葉にならないような気持ちを読み取ることができる。作者がどのような願いを彼女に託していたのかを考えることができる。

 プリキュアは本来3~7歳の子供たちに向けられた、子供たちの憧れる未来の物語である。私はハピネスチャージプリキュアと出会ったのは彼女たちと同い年かちょっと上のときであればこそ、共感を持って物語を見た。そして、プリキュアの年齢をゆうに上回ってもう一度それを見た今、私は彼女たちの歩く未来にいるのだろうか、そしてその未来としてプリキュアたちに優しくしてくれた大人たちのように私は彼女たちに接する事ができるのか考える。

 すなわち、私は私の幸福のために生きられているか、生きていけるか、そしてその延長線で誰かの幸せを願ったり助けたりをふつうのコトとして出来る人間になれたのだろうかと。

 

 そう問うとき、ハピネスチャージプリキュアは厳しいと同じだけ優しい物語だと思う。

「私もわかんないけど、今日を生きていくしかないよ。目の前の何かを見過ごさないで悩むことは大事なことだから悩めるときは悩んで、それでもだめなことがあっても諦めないで。幸せは意外なところにあるものなんだから、求めることを諦めないで」

 私はあれから6年経って初めてハピネスをチャージする術に気づき、彼女たちと出会えた。

 

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 私とリアルに話したことはわかるが、私のハピプリの思い出はオタクへの恨み節と裏表で、ニチアサのオタクのことをボコボコにけなしたりよくしていたが、今思うと世界には色々な人がいるという把握が私はできてなかったと思う。

 だからもっと心を晒して、きっと仲間がいるとそう強く願えればこんな拗らせなかったのかなとも思うのだが、今の年にならなければ実体験として理解できないことも色々あり、うーん出会いだなと思う。

 でも去年の五周年の祭り参加できなくてすごく残念!!! 同時に、五年間信じてた人、愛してくれた人がいることもすごく嬉しいなと思った。

 あと、プリキュアであるという理由だけで評判が芳しくないハピプリを完走してくださるオタクがたくさんいることも今更ながら知って、プリキュアブランドってすごいなとしみじみと思った。こんなふうにただプリキュアであるだけで愛してくれるって、それって愛だよね(だからこそ合わなかった時にあんな燃えちゃうのかな……)